2005年03月10日

岡部騎手引退!

岡部騎手が引退らしいです。競馬に詳しくない人はピンとこないのでしょうが、
サッカー界で三浦知良選手が引退するようなもんでしょうか?
いずれにしても、日本競馬界に多大なる功績を残された名騎手でした。

個人的に岡部騎手というと、良い思い出、悪い思い出の繰り返しでした。
そこで岡部騎手、個人的思いいれのレースを二つ!!

1.平成5年有馬記念。一番人気のビワハヤヒデに騎乗も惜しくも2着。
実は私はトウカイテイオーの大ファンだったのですが、そのテイオーが一年ぶりに復帰、
しかもいきなり有馬記念ということで、ファンならずとも最後まで走ってくれるだけでいい、
ましてや相手は当時現役最強と呼ばれていたビワハヤヒデ。そして鞍上は名手岡部。
という勝てるわけがないレースでした。

実はここに大きな因縁があったのです。
岡部騎手の名前を一躍広めたのは、皇帝シンボリルドルフとの出会い。
この名コンビで数々のレースを物にしてきたのですが、
このルドルフこそが、テイオーのお父さんなのです。
ファンとしてはテイオーも岡部騎手に乗って欲しい。
ファンや関係者の願いがかない、やっとコンビを組む事に。
しかし、思うように結果がでない。。。
(ジャパンカップは勝ちましたが)
そんな時にこの大舞台。岡部騎手が選んだのはビワハヤヒデだったのです。

そしてレース。テイオーは最終コーナーで好位置をキープ、直線に向いてもなんだか力強い、「おお!」
トップを走るは予想通りビワハヤヒデ!さすがに届かないか!
いや!きている!テイオーが来ている!!
どんどん差が縮まっていく!テイオーは勝つ気だ!!!
ゴール直前、抜いた!
きっと、テイオーは岡部騎手が他の馬に乗っている事を知ってたと思います。
だからこそ、自分ではなくビワハヤヒデを選んだ岡部騎手に対して、意地を見せつけたんだと思う。
勝った田原騎手も泣いてましたが、私も泣きました。
アナウンサーの「奇跡の復活!!」という言葉が印象的です。
岡部騎手もレース後「テイオーなら仕方ない」というようなコメントも残していました。
もう、このレースを語るだけで目頭が熱くなります。


2.レオダーバンで青葉賞制覇!まってろテイオー!
この年の4歳馬は関西のトウカイテイオーばかりが注目されていました。
そこにめきめきと頭角を現してきたのが関東の刺客レオダーバン!鞍上は名手岡部!
ダービーへの関東最終予選ともいえるこのレースを、このコンビは余裕で勝ってくれました。
後にテイオーファンとなる私は、この時レオダーバンのファンだったのです。
競馬史上、影の最強馬マルゼンスキーの子供というのもお気に入りポイントでした。
この馬ならテイオーに勝てるのではないか。
ダービーに向けて役者が揃ったレースでした。
ちなみに、ダービーではテイオーが一着、レオダーバンが二着。
しかし、秋の菊花賞では、テイオーが骨折、レオダーバンが優勝しました。

というように、私にとって岡部騎手は大好きなテイオーとの因縁が最も印象深いのです。
最近はすっかり馬券を買っていませんが、あの時の感動は今後も忘れる事ができないでしょう。
テイオー、岡部さん、お疲れ様でした。ありがとうございました。

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1. ありがとう岡部さん  [ 今を生きる! ]   2005年03月10日 15:46
最強馬シンボリルドルフのレースにはいつも背中に岡部騎手がいた。 その息子トウカイテイオーのジャパンカップの時にも岡部騎手がいた。 ルドルフ→テイオーのラインを応援する僕は自然に岡部ファンになった。 数々の記録を塗り替え、JRA史上最多の2943勝を挙げ、56歳の

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